株式会社 理論社

くうきラボ 第3回 残酷な絵?

中学生
しつもん
中学校で校舎の窓をみんなから募集した図案で飾ることになり、私が描いたイルカが泳いでいる絵が選ばれて喜んでいたら、校長先生に『イルカが魚をくわえている部分は残酷だから消すように』といわれました。コミカルな図案で自分では残酷だとは思いません。なぜ消さなくてはいけないのかと悲しい気持ちです。
プロフェッサー・ケンタ
プロフェッサー・ケンタ
よっぽど絵がうまくて、迫力がありすぎたんでしょうかね。
くうき
くうき
でもコミカルって書いてあるわ。
プロフェッサー・ケンタ
なんにしても、残酷だからダメっていうのは、もっときちんと説明してほしいです。通常の芸術作品なら許されるけど、学校施設を使うからとか、教育上の観点から許されないというなら、そこをきちんと説明しないと、表現の自由の過度な制約で問題です。
くうき
そもそも、この絵にしようって選んでおきながら、「ここは直して」ってどうなのかしら?!
プロフェッサー・ケンタ
そうですね。絵を選ぶ基準は純粋に絵として良いものだったけれど、いざ学校を代表して世の中に見せるとなると違う判断基準が入ってきてしまったのかと想像します。もしかしたら、最初は絵の先生が選んだけど、最終判断は校長先生がする仕組みで、いろんな事情を考えて「直して」ということになったような気もします。
くうき
校長先生は学校で一番偉い人でしょ?何を気にしたのかしら?
プロフェッサー・ケンタ
学校に来るお客さんとか保護者からの批判かもしれませんね。自分より偉い人や自分の立場に影響を与える人に気を遣って、保身のために誰かの自由を制限するということが、世の中では起こりがちです。これが「忖度(そんたく)」とよばれているものですね。でもこうした「余計な気遣い」が横行すると、社会のなかの自由はどんどん狭まってしまい、気がついたらがんじがらめで何も言えないことになってしまいます。だからこそ、決める力を持っている人が、きちんと自由を守る姿勢を示すことがとても大切です。
くうき
せっかく選ばれてよろこんだのに、がっかりな体験になって残念よね。
プロフェッサー・ケンタ
そもそも作品を大切にする気持ちがあれば、簡単に絵を描き換えてなんて言えませんよね。作品や作者(生徒)をリスペクト(尊重)する気持ちが薄いのかな、と思ってしまいます。
くうき
ダメな表現かどうかって誰が決めるの? やっぱり偉い人が勝手に決めるのかしら?
プロフェッサー・ケンタ
自由であって自由ではない、というのが表現の自由の大事なポイントです。
くうき
どういうこと?
プロフェッサー・ケンタ
どこまでならOKでどこからがNGかの線引きがはっきりしていないのです。だから戦争中は、政府や軍が勝手に良しあしを決めて、国の方針に批判的な人をどんどん捕まえ、牢屋で拷問して殺すことまでしてました。その反省から戦後は、どんな表現もいったんは自由に言ったり書いたりすることを認めるという大原則を決めました。国は、表現を事前に取り締まる「検閲」を絶対にしてはいけないということが憲法で決まっています。これはとっても大切な、私たちが大きな犠牲の上に得ることができた宝物で、「日本の表現の自由は世界一」といわれる所以です。
そうして、いったん社会に出された表現を、問題があると思ったらあとから裁判所がしっかりと調べて良しあしを決める仕組みがとられています。そして、もし問題があるという指摘があった場合は、その理由をきちんと聞いて、お互いが納得するまで話し合うことです。
とりわけ、学校でこうした話し合いもなしに、一方的に先生が決めることは、まさに教育上よくありません。
くうき
校長先生に直してって言われたら「イヤです」って言うのは難しいもんね。
プロフェッサー・ケンタ
校長先生は学校の中では権力者ですからね。
その一方で、表現の自由だからといって、何を言っても書いてもいいというわけではありません。みんなが仲良く、気持ちよく過ごすためには、何でもかんでも自由に言えばよいわけではないですよね。
くうき
ん?それって「くうきを読め!」ってこと?
プロフェッサー・ケンタ
たとえば一般には、ウソやオーバーな表現をしたからって、即アウトではないですよね。でも、学校では「事実ではないこと」を、さも事実のようにいうことはダメって先生が言うことがあるかもしれません。あるいは、「暴力や残酷な表現」も、見る人によって感じ方が違ったりしますし、飾る場所をよく考えて少し我慢しましょう、ということもあるかもしれません。その時大切なのは、一方的にダメって禁止するのではなく、なぜダメなのかを伝えて、ほかの表現方法はないのかなど先生と生徒がみんな一緒になって考えることがあるかどうかです。どこまでOKなのか、はっきりした答えは出なくても、その基準をそれぞれなりに考えて共有すること、そして、あくまでも、表現をした本人が、納得して自分の意思でやめたり変更することが大事な点です。
くうき
そうか。自分じゃ残酷だと思わなくても「残酷だと感じる人がいるかも」ってことも考えなくちゃいけないってことね。ちゃんと話し合いをして、描いた人が納得して変えるならいいわよね。逆に言えば納得できないなら変えなくていいんでしょ?
プロフェッサー・ケンタ
そうですね。「自主自律」という言葉があるけど、自らが主体的に、自らを律することはとても大切なことです。決して忘れてはいけないのは、日本の表現の自由は世界最高といわれているように、それによって、権力のある側が、強制的に表現を変更させたり、迫害したりすることは絶対に許されないということです。
くうき
でも、実際はそんな感じに見えないけど。
プロフェッサー・ケンタ
確かに、毎年5月に発表される「報道の自由度ランキング」を見ても、日本の順位は今年も世界180か国中60位台に低迷していて、決して誇れるものではありません。だからこそ、せっかくの「世界一」をみんなで守っていく必要がありますね。
くうき
どうすればいいのかしら?
プロフェッサー・ケンタ
自分が言うことに責任を持つこと、これが基本です。強い立場の人に対しても、空気を読まずにきちんと自分の言いたいことを言うようにする。逆に、弱い立場の人、声が挙げづらい人に対しての表現は、十分に相手の立場を想像して、一拍おいてから話すことです。昔から、怒りの手紙は一晩おけ、という言葉があります。いまはSNSで、思ったことを瞬間的に全世界あてに発信できてしまう時代ですが、一呼吸置くということはとても大切なことです。
<プチ情報>5月3日は、国連が定めた「世界報道の自由の日」なんだよ。
だからこの日に合わせて、国際NGOが表現の自由に関する調査結果を発表するんだ。世界中を網羅している調査としては2つあって、その1つが「国境なき記者団」(本部:フランス・パリ)が行う「報道の自由度ランキング」、もう1つが「フリーダム・ハウス」(本部:アメリカ・ワシントンDC)が行う「世界の自由度」。
国境なき記者団
https://rsf.org/en

フリーダム・ハウス
https://freedomhouse.org

ほかにも、さまざまな団体が世界中の表現の自由をウォッチしたレポートを発表してるよ。世界各国との比較で、日本の自由状況を客観的に知るための指標として確認してみよう。
イギリスにある表現の自由擁護の団体で、自由権規約19条が表現の自由の条文であることから団体名称にしている:アーティクル19
https://www.article19.org

ジャーナリスト関連の労働組合の世界組織で、日本国内の報道関連組合も加盟している:IFJ(国際ジャーナリスト連盟)
https://www.ifj.org
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